[プロフィール]
京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科博士後期課程修了。2007年より龍谷大学理工学部物質化学科助教、2010年より現職。電気分析化学を研究対象に、生体反応と関連する液液界面での電荷移動反応、光合成生物を用いた光-電気エネルギー変換反応、および新しいフロー型全電解セルの開発を研究。また、長期テーマとして人工液膜系での生体類似反応を構築する研究および新規電気化学分析法の開発を行っている。
混ざりあわない2つの溶液が接する液液界面では、電子だけでなくイオンの移動が可能となるため、固体と溶液が接する固液界面では起こらない特異的反応が生じます。したがって、溶媒抽出や膜分離、イオン選択性電極などの分離分析法に広く利用できるほか、有機溶液を生体膜に見立てることで、生体膜反応の評価・理解にも有用なモデル場として活用できます。また、我々は光合成生物を用いて、光エネルギーが電子として取り出される反応を解析し、人工液膜反応との類似点・相違点を評価することで光合成反応の考察を進めています。
これらの研究の他に、分析化学の分野で重要な電気化学測定法の一つであるクーロメトリー※において、高感度・高精度かつ迅速で汎用性のあるフロー型全電解セルを作製しました。さらに、クーロメトリーの分野を液液界面に拡張し、酸化還元性物質のみならずカルシウムイオンのような難酸化還元性物質を対象としたフロークーロメトリー用電解セルも開発し、血清中のカルシウムイオンの定量など数多くの検討を行っています。今後はこれらの電解セルをさらに小型・高機能化することにより、低コストで効率の良い分析システムの構築やセンサの開発などへの実用化が期待できます。
※ クーロメトリー
電解に要した電気量を測定して化学分析を行う方法で、検量線の作成や目盛り校正を行う必要がない絶対定量法である。
電気化学※とは、イオンあるいは電子が関与する反応を扱う分野の総称です。従来この分野の研究は、固体電極を使った電極反応、すなわち酸化・還元反応にともなう電子移動に集中していましたが、我々は固体電極の部分も液体にすることにより、電子のみならずイオンの界面移動を可能にしています。これによって、例えば水と混ざりあわない有機溶媒の界面では、固体電極反応で生じ得なかった特異的反応が起こることも実証しています。単一の溶液中では酸化還元しかできなかった物質が、他方の溶液と接している界面で酸化還元した時に、接している溶液から界面を通してイオンなどの物質を取り込むことができるのです。
我々は、この液液界面で生じるイオンおよび電子移動反応を、分析化学的視点と生化学的視点で解析しています。まず、分析化学の視点では、水溶液中に混在する様々なイオンを選択的に有機溶媒に抽出することにより、物質の分離が可能です。また、界面をイオンあるいは電子が移動すると電流が発生するので、この電流から移動するイオン、あるいは電子の移動量が分かります。
一方、生化学の視点では、リン脂質で構成される膜が水と接して形成される膜界面でイオンや電子が移動して呼吸反応や光合成反応が行われていることに着目しています。そして、有機溶媒を生体膜と見立て、生体内で起こっている反応を液液(水/有機溶液)界面で人工的に模擬し、水と有機溶液界面で起こる反応の機構やエネルギー関係を調べることで、呼吸や光合成のモデル反応を構築・解析することを目指しています。
※ 電気化学
荷電粒子(電子およびイオン)が関与する化学現象をあつかう学問であり、物理化学、分析化学、生化学などのあらゆる諸分野と密接なかかわりがある。
光合成細菌※は吸収した光のエネルギーを電気エネルギーに変換して光合成をしています。このとき、細胞膜内では電子が流れます。この研究では、光エネルギーを電気エネルギーとして効率よく取り出すことを目的とし、光合成細菌内で光エネルギーによって生じる電子を電極に取り出す反応を調べています。
光合成細菌だけを電極に固定させても細胞内から電子はほとんど取り出せませんが、メディエーターと言われる酸化還元物質を電極表面に共存させることによって、光合成細菌の中から電子を引き出すことが可能となります。
光合成反応は、例えば農薬や工業廃水で重金属のような有害物質が含まれると反応が阻害されたり、あるいは促進されたりします。このような有害物質が共存した時に、電子の移動量に変化が起きます。この変化を利用し、電極自身をセンサにして下水中に含まれている有害物質を検出する手法について検討しています。
また、理学的な視点として、光合成反応を妨害する物質の種類によって電子の流れる状況を系統的に調べる事により、メディエーターが細胞内のどこから電子を引き出しているかという反応の解析も可能です。一連の流れで系統的な結果を得ることができれば、これをモデルにして人工的に太陽電池のようなものに組み立てる事ができると考えられます。
※ 光合成細菌
光合成を行う真正細菌の総称であり、その構造や反応機構から紅色細菌、緑色硫黄細菌へテロバクテリアなどに分類される。
電解を基礎とする流液中の電気化学的な分析には、物質の一部を電解するものと、目的物質を100%電解する2つの方法があります。我々は目的物質を全電解し、そのときの電解に要した電気量を測定して、目的物質の濃度を定量するクーロメトリー(絶対定量法)を研究対象としています。
従来、クーロメトリー用の電解セルは数多く報告されてきました。バッチ式では、目的物質の濃度が10-3M以上のとき 99% 以上の効率と 0.1% 程度の高精度で全電解が達成できますが、希薄な濃度条件では高効率・高精度なクーロメトリーは困難でした。感度を向上させるためにフロー型のクーロメトリー用電解セルも提案されましたが、精度が1%程度と向上せず、セルの構造が複雑で汎用性が無い、などいくつもの問題点がありました。我々が研究を進めているフロー型の全電解用セルは、細くても耐久性があり水溶液だけではなく有機溶媒にも耐え得る素材としてテフロンチューブを使用しています。内径1mmのテフロンチューブに直径10μm程度のカーボン繊維を流れ方向に充填したものを作用電極として用いることで、流れる溶液の体積に対する電極面積の比を大きくして電解時間を短縮し、その結果、バックグラウンド電流が与える影響が小さくなり、分析感度が高まりました。
実際に高感度・高精度かつ迅速にフロークーロメトリーができ、作製が誰でも容易にできるという電解セル装置を完成させました。これにチューブをつないでポンプから溶液を送ると、電極の中に入った瞬間に目的物質が迅速に電解されます。量産も可能なことから、比較的低コストで精度の高い測定が実現します。
クーロメトリーはその原理から、電解に要したクーロン数とそのとき電極内を流れた溶液量、あるいは一定電流値と電極内を流れる溶液の速さを正確に測定できれば、理論式に基づいて濃度を見積もることが出来ます。したがって、検量線を作る必要がなく、高効率・高精度な分析を可能とする点が大きなメリットです。
様々な試験を行った結果、この電解セルで初めて測定誤差を0.1%に抑えることができました。検出感度も高く、従来のクーロメトリーでは測定が困難であった濃度領域の分析が可能となります。クーロメトリーの分野では1%以下の測定誤差を実現したことで、信用性のある分析ができる電極であると評価できます。
また、昨今非常に問題視されている環境汚染要因となる物質を含む溶液の使用についても、ひとつの測定に100mlや500mlと多量に使うことなく、1mlあるいは多くても5mlと使用量を少量に抑えられるため、環境に良いことも大きなメリットになります。
今後の展開に向けて、このセルを複数連結させることに取り組んでいます。現在のところ、電極は1本で溶液が流れ出てしまいますが、この先にさらに電極を接続できれば、連結したセルそれぞれで固有の電位をかけることができ、二つ以上の物質のクーロメトリーが可能になります。また、1つ目の電極で余分な物質を電解して除き、2つ目の電極で本来定量したいものを定量する、というように妨害物質の除去もコントロールできます。例えば、セルを5本連結させれば、5種類の電位がかけられるのです。これが実現できれば、さらに汎用性が広がります。
従来のフロークーロメトリーは容易に酸化還元する物質に限られていましたが、液液界面でのイオン移動反応を全電解法に拡張すれば、容易に酸化還元しないイオンのクーロメトリー定量も可能です。我々は、多孔質のテフロンチューブを用いることで、イオンの液液界面でのフロークーロメトリー定量に成功しました。この液液界面フロークーロメトリー用セルも複数つなげることが出来るため、例えば、1段目ではカルシウム、2段目ではナトリウム、3段目ではマグネシウムと順次分離定量ができます。この電解セルを利用し、血清中のカルシウムイオンの定量を現在目指しています。
フローシステムにおける分析は、プロセス化学工業の制御、クロマトグラフ分離にともなう検出定量、医療検査での検体の迅速分析など多くの分野で重要な位置にあります。現在我々が進める3つのテーマの中で最もチカラを入れているのが、これに関わる全電解セルの研究開発です。 ベースとなるクーロメトリーは、分析化学の分野で古くから知られている技術で、高精度で分析できるというメリットがあるにも関わらず、研究例がとても少なかったのです。この研究では、これまで多くの方々が作りあげられたクーロメトリーの重要性を再認識しました。その上で、より信頼性が高く、また効率の良い分析に向けて、全電解フローセルをより小型化・高機能化し、工業や医療のみならず、あらゆる分野で幅広く活用できるシステムへの応用を目指しています。