[プロフィール]
京都大学大学院工学研究科修士課程修了。松下電器産業株式会社およびセイコーエプソン株式会社を経て現職に至る。薄膜トランジスタの特性解析・シミュレータ開発とアプリケーション開発を専門分野に、薄膜トランジスタの特性を新規分野に応用したさまざまな技術開発の研究を行っている。
薄膜トランジスタ※は、大きな面積に低コストでの製作が可能で、またガラスやプラスチックの基板上に製作できるという大きな特長を持っています。これにより、早くから次世代ディスプレイへの期待が高まり、各メーカーや大学などによって液晶ディスプレイの技術として盛んに技術開発が進められてきました。
私たちの研究室では、薄膜トランジスタの特性を綿密に解析した上でシミュレータを開発し、これを液晶ディスプレイの技術にとどめず新たな技術への展開を行うべく、さらにバイオミメティクス(生体模倣技術)分野と組合せる2つの研究を行っています。
ひとつが人工網膜、もうひとつがニューラルネットワークです。これらは、従来からLSIで進められている技術研究ですが、薄膜トランジスタで行うことによって、軽量化・低コスト化などの改良と最適化に向けた可能性を生み出していきます。
※ 薄膜トランジスタ
液晶ディスプレイや次世代ディスプレイとして期待の高い有機ELディスプレイにおけるキーデバイス。
液晶テレビにおいては、100万個以上の薄膜トランジスタが行列状に配列しており、個々に動作して画像を作っている。大きな面積に低コストでの製作が可能、またガラスやプラスチックの基板上に製作できるという大きな特長を持つ。英語では、Thin-Film Transistor、略してTFT。
現在、薄膜トランジスタは液晶テレビをはじめ、ノートパソコンや携帯電話のディスプレイなどに広く使われています。液晶テレビにおいては、100万個以上の薄膜トランジスタが行列状に配列しており、個々に動作して画像を作っています。この薄膜トランジスタの特長として、文字通りわずか10μm程度という薄さがあげられますが、さらに液晶テレビに使われる理由として、大きな面積を低コストで、なおかつガラスやプラスチックの基板上に製作できるという特長を持っています。
トランジスタはすべての電子回路の基本要素であり、原理的には薄膜トランジスタにおいてもいかなる電子回路も作ることが可能です。しかし、この動作解析にあたっては、構造が従来のトランジスタと異なっているため、その動作を表わす基本式が確立されていませんでした。LSIの場合は多くの半導体の教科書があり、そのほとんどに同じ式が表わされていますが、製造プロセスが異なる薄膜トランジスタにおいては式がないため、まず私たちの研究室では、理論と実験に基づき薄膜トランジスタの動作を表わす基本式を導き出すことから取り組んだのです。
そして、薄膜トランジスタの特性をうまく再現するための基本式やプログラムなどを導き出して特許を取得し、シミュレータモデルを構築し、シミュレータを開発しました。これは回路上でのシミュレーションなどを十分に行った上で、シミュレータの設計を実施。最終的にできた図面上の画素設計のレイアウトデータを作り、共同研究しているところで薄膜トランジスタ用のシミュレータを製作していただきました。このように薄膜トランジスタの特性解析とシミュレータ研究開発を行った上で、次なる課題として液晶テレビ以外に使う試みを始めたのです。
人工網膜については、LSIを用いた研究がアメリカやドイツなど世界中で、早くから進められていますが、薄膜トランジスタによる研究は私たちの研究室がいち早く着手しました。人工網膜は画素数がとても小さいため、LSIの場合はカメラを外に置きワイヤで信号を送りこまなければなりません。これでは、見た目が悪く、身体の外部に出ていることが体の負担にもなりますので、薄膜トランジスタを用いてすべてを身体の内部に入れようとしているのです。
この人工網膜は、外科手術によって目の中に入り眼球の裏側に置かれます。光はレンズの方から来るため、基板を通して裏側のトランジスタが光を受けて、出力を眼球の内側に出さなければなりません。そこで、まず透明な基板が可能な薄膜トランジスタが好適なのです。さらにフレキシブルで割れにくく無害です。人工網膜は、デバイスを作って光の分布をいれると、電圧が出力されます。すなわち、網膜としての必要な機能は満たされるのです。
私たちは、すでに薄膜トランジスタによる人工網膜の最低限の動作を確認しています。健常者が普通に見るよりは粗いですが、約10000個の100×100程度の画素で、モノは認識できるレベルです。現在は、埋め込み技術と電気信号の受信、電気の供給とについて研究を進めており、次のステージは、動物実験を考えています。副作用の問題や、光を感じているかどうかなどを研究する予定です。動物に最初に入れるのは1、2年、実際に人間での実用化は10年ぐらいのスパンを見込んでいます。
研究者人口が多いLSIの方では動物実験などが進んでいて、私もその研究会に参加しています。動物実験で本当に見えているか、見えているような感じになっているかという確認をLSIで先に進行していただき、私たちは薄膜トランジスタで研究し、これに置き換えるなど効率の良い応用開発を考えていきます。
これまでニューラルネットワーク※の研究は理論研究が主でしたが、私たちはモノとして作ろうとしています。脳細胞の1個をニューロン※と言い、そのニューロンの回りについているシナプス※が、1個のニューロンに対して100個や1000個あります。LSIによる従来の研究では、ニューロン1個の構成にトランジスタが約20個、シナプスの構成にもトランジスタで約20個必要でした。このため、ニューロンとシナプスの組み合わせを作るためには膨大なトランジスタが必要でしたが、私たちの研究では、1個のニューロンのために、薄膜トランジスタを8個しか使わず、シナプスについては1個としています。これにより1個のニューロン細胞を極めて小さくすることが可能となるため、大きな基板にたくさん素子を製作できる薄膜トランジスタが向いています。
パソコンのCPUと比較すると、脳細胞は超並列処理で個々の情報処理は遅いですが、たくさんの細胞が一度に働き全体で複雑な処理をこなしていきます。一方、ニューラルネットワークの最大の特徴は、人間と同じように、教え込むことによって徐々に賢くなっていく点です。初めは何も機能を持っていませんが、学習によって任意の機能を覚えながら賢くなっていく論理回路が私たちの薄膜トランジスタによるデバイスレベルのニューラルネットワークです。理論的な基礎をふまえた上で、それを一番シンプルにするにはどうするかを理論をもとに編み出し、 実際に試作し動作を確認しています。
ニューラルネットワークは、すでにロボットの制御装置でよく使われています。歩く時の足を出すタイミングなどあらかじめ与えられていないものをだんだん学習していくものです。しかし、これがLSIの技術では、使用するトランジスタの量が膨大になるため、必要量を組込むとロボットが大規模かつ重くなり、ケーブルで繋がなければ歩かせることができません。私たちの技術は、その回路を非常にシンプルにすることを可能とするものです。
私の知人はトランジスタの微細化への思いを「蚊の脳みそを作りたい」と言っています。蚊は赤外線センサーを持ち、人がいるとその熱を感じて寄ってきます。飛行制御も行い、うまく血を吸いに来ますが、その脳は1mm3もありません。しかしそこには三次元的に多くのニューロンが詰まっているので、それを可能にしてしまうのです。ニューロンは、非常にシンプルに作って小さな中にたくさん詰め込むことができれば、蚊ぐらいの情報処理ができてしまうのです。蚊がそうして飛んでいることに比べると今のロボットの制御装置は巨大です。これを薄膜トランジスタにすることで小型軽量化されるため、ロボットには非常に有利になってくると考えられます。
※ ニューラルネットワーク
人間の脳機能にみられる高度並列情報処理と自己組織化の特性をモデル化したもの。現在のコンピュータの基本思想であるノイマン型情報処理とは一線を画している。
これまで、理論面での研究はおおいに進んでいるが、実際の電子回路の実現はあまり進んでいなかった。
※ ニューロン
脳細胞のひとつひとつを、ニューロンという。それぞれのニューロンは、発火・非発火というふたつの状態のいずれかをとりながら、周囲の状況に応じて、その状態を変化させてゆく。電子回路としては、上記の特長をもつ論理回路として、実現される。
※ シナプス
ニューロンどうしをつなぐものである。 たがいのニューロンは、シナプスをつうじて相互作用して、その状態を変化させてゆく。
これまで大学で薄膜トランジスタを扱う場合、新しい材料や新しい作り方、あるいは本体の柔軟性などに関わる研究がほとんどで、私たちのような新規応用を研究している例はあまりありません。その中で、人工網膜の研究はすでに学会発表しているため、研究者レベルでは周知されています。今後の実用化にあたり、デバイスを作る面においては、ディスプレイメーカーとあわせて人工臓器側の医療側のメーカーにも興味をもっていただきたい研究です。デバイスも埋め込みの技術も同時に開発していくと、よりスムーズに展開していくと考えられます。もう一方の、ニューラルネットワークについては、将来的に画期的な進化が見込まれるロボットの分野はもちろん、ロボットの延長として医療に関わる義足などへの応用が考えられます。
これらそれぞれは、すぐにビジネスに展開するレベルではなく、パートナーと一緒に考え、作っていこうという段階です。今ベースとなる技術を確実に固めるべく、ご協力くださるパートナーと共に地に足をつけて歩み、より深く研究することによって、さらなる可能性や応用展開へと進めていきたいと考えています。