[プロフィール]
立命館大学理工学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員を経て、2000年より、龍谷大学理工学部物質化学科助手、2005年より同専任講師、2008年より准教授、2012年より現職。生体で働く分子に着目し、それらの分子集合体の構造や機能について研究を行っている。
バイオテクノロジーという言葉が使われはじめてから30年余り。世界的に見て、生物工学の分野は長足的な発展を遂げています。私は物質化学科に籍を置いていますが、生き物の中にある分子、そしてその分子と分子の間にあるものを解析して、従来の化学反応ではなく生物由来の化学反応を「ものづくり」に役立てることを研究の主眼としています。
生き物が持っている分子は非常に「精密」で「理にかなった」かたち、はたらきをしています。それは生き物が何十億年もかけて進化した結果が分子の中にも蓄積されているからなのです。人間が化学合成に着手したのが200年ほど前。熟成された時間の違いの分だけ、生き物の分子の方が「精密」に出来ているのです。この「生き物の分子」から学び取り「ものづくり」へ応用をすべく進めている研究をご紹介していきたいと思います。
私たちの研究の着眼点は「生き物の分子のはたらきを人工的につくりだす」ということです。ではどのような「はたらき」をつくり出すのかについてご説明します。まず、生き物の「細胞」の形状に着目します。「細胞」はカプセル状になっており、その表面を「薄い膜」が覆っています。この「膜」自体も分子で構成されています。まずこの「膜」を人工的につくりあげると、細胞と同じように「カプセル状」となるのです。この人工的につくりあげた「カプセル」のことをリポソーム※といいます。
つぎに、「細胞」のはたらきに注目します。細胞は生きていくために外部からものを取り込み、不要なものは外へ出していきます。この必要なもの、不必要なものを「運搬する分子」が生き物のなかに存在します。この「運搬する分子」も人工的につくり出すことが可能です。
つまり、細胞膜を形成する分子と細胞にものを運搬する分子の両方を人工的につくり上げたうえに、生き物が体内で行っているはたらきまでをも人工的につくり上げることが可能になったのです。
しかしながら、当然「運搬する分子が細胞膜に浸透し、不要なものを外へ運び出す」という一連のはたらきを可視化することはできません。そこで、人工的につくりあげた細胞膜の内側に蛍光性の物質を加えることで、視認することを可能としたのです。「運搬する分子」が細胞膜内に浸入し、不要なものを外部へ運び出す際に、蛍光物質も一緒に持ち出します。したがって、一連のはたらきが行われると、蛍光物質が外部に出るため「光る」ことが確認できます。この「視認システム」をつくりあげたことが研究のベースとなっているのです。
※ リポソーム
生物の細胞膜を模して分子を層状に並べた人工膜を、カプセル状にした数十ナノメートル~数マイクロメートルの大きさをもつ構造体をリポソームという。カプセルの内部には様々な物質を封入することができると共に、生体適合性をもつことから、患部へ薬剤を運搬するカプセルなどにも応用が期待されている
私たちは現在、この「視認システム」を用いて「酵素の反応」を可視化させることに取り組んでいます。生き物の体内で行われている化学反応は、すべて酵素のはたらきによるものです。つまり、酵素のはたらきを可視化させることによって、体内に関する研究に大きく寄与することができるのです。
では、どのように可視化させるのか?例えば、砂糖を酵素によって反応させるとします。砂糖水の中に酵素を入れて反応させ、そこに「視認システム」である蛍光リポソームを投入します。このとき、砂糖と酵素が反応してできた物質が運搬分子の活性を変化させ、溶液のなかに蛍光物質が流れ出て光るということになります。
現実的な使い方としては、溶液内に存在する物質の有無を知るために使う、ということになると思います。サンプル溶液内の対象物質を調べるためには、その物質と反応する酵素と「視認システム」を用いればよく、様々な物質に対応できます。
◎砂糖の検出
砂糖が入ったソフトドリンクと甘味料が入ったソフトドリンクとを見分けることができる。
砂糖を分解する酵素(インベルターゼ)の活性を可視化することによって、食品サンプル中の成分を検出することができる。
この「視認システム」のメリットのひとつは、特別な装置を用いなくても作成が可能であるという点です。つまり非常に安価でつくりあげられます。次に膜透過する分子をカスタマイズすることで様々な種類の酵素反応に対応が可能となります。また、酵素自体も市販されているものが多いので、反応を見る環境をセッティングするにあたっては、取り立てて資金を必要ともせず、非常に汎用性の高いシステムであると言えます。
従来、成分分析などは主に機械によって行われてきました。溶液を数回抜き出し「その成分の数値がどのように増減しているのか」を調べることによって、反応の有無や度合いを測ってきたのです。しかし、この方法では「時間がかかる」「費用がかさむ」といった問題点があります。
私たちが提案する「視認システム」は、酵素反応を細かく定量するには不向きですが、「酵素反応の有無」はすぐに、そして一目でわかります。したがって、すぐに判定結果を必要とする現場や、数多くの判定を必要とする現場では、大いに活用いただけるシステムです。
人が食すものは全て分解されます。つまり酵素がはたらいているので、私たちが研究を進める「視認システム」は「人が食すもの」を研究・開発していく上で力を発揮します。実際に「味覚成分のセンシング技術※」に応用すべく現在、他の先生とコラボレーションするかたちで取り組んでいます。
更に、生き物の体内で起きる化学反応を見るということから、医薬品分野にも活用いただけると考えています。例えば、細胞が増えて腫瘍となる癌については、細胞が増えていくときに酵素を必要とするのです。この酵素のはたらきを研究していけば、治療薬開発にもつながります。
食品業界や医薬品業界、あるいは診断や治療技術にまで関係する酵素反応を観察していくことは、リポソーム内に蛍光物質を注入し完成するとても意義深いものだと思います。
※ センシング技術
化学物質の種類や量、または重さや電圧など各種の物理量を計測する技術、すなわち、センサーの開発と応用に関する技術をいう。
先に述べさせていただいたように、「視認システム」を活用いただける業界としては、食品業界や医薬品業界等が考えられます。
また、ご一緒に研究をさせていただける企業としては分析機器メーカー等が考えられます。 私たちは研究が主のため市場のニーズをなかなかキャッチできませんが、「こんな測定はできないだろうか」といったご相談には積極的に応じたいと思います。