[プロフィール]
京都大学大学院理学研究科生物科学専攻 博士後期課程修了
京都大学生態学研究センター 連携研究員/科学技術振興機構さきがけ専任研究者を経て2015年から現職
2014年科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞
遺伝子は親から子へ遺伝情報を伝えるだけでなく、生き物の一生を通じてタンパク質の設計図として働くことで“生きている”という状態を形作っています。例えば、様々な遺伝子を適切なタイミングで働かせることによって、植物は複雑に変動する自然環境に対応しています。我々の研究室では、特に数万種類におよぶすべての遺伝子の働き(トランスクリプトーム)を定量する手法を中心に用いて、複雑な野外環境下での植物の生きざまを明らかにし、生育を制御することを目指しています。そのために、独自に多検体化した遺伝子の網羅的計測手法と、最先端の情報科学的手法や気象データとの統合解析を中心に、3Dプリンタのようなパーソナルファブリケーションまで、さまざまな技術を駆使して、研究に取り組んでいます。
植物の本来の生育環境である野外では、気温や日光などが複雑に変化するため、実験室内で行う研究から、植物が野外での環境変化にどのように応答しているかを類推することは容易ではありません。
そこで、実際の田んぼでイネのトランスクリプトームを大規模に測定することで、実際の野外環境でどのようにイネが環境に応答しているかを明らかにする研究を行いました。様々な環境のデータを取るために、昼夜を問わず、またゲリラ豪雨や台風直撃時など天候を問わず、数百サンプルのデータを多くの共同研究者と協力して収集しました。このように大変な労力をかけて収集した遺伝子のデータと、気温、降水量、日射量、風速などの気象データを、統計モデリングによって解析しました。
イネなどの植物には約3万種類の遺伝子があり、それらの遺伝子の中から適切なものを適切なタイミングで読み出してくることによって、呼吸や光合成、その他の様々な生きていくうえで必要な機能が動かされています。そのため、どの遺伝子がどのタイミングでどれくらいの強さで読み出されているか(トランスクリプトーム)を調べると、その時の植物がどういう状態であったかがわかります。
解析結果から、イネの葉で働いている約17,000の遺伝子のうち、約7,300が気象環境の影響を受け、特に気温と深く関わっていることがわかりました。気象データ以外に、田植え後の日数や、イネの体内時計の影響なども加えて解析することで、イネの葉で働いている遺伝子の97%以上について、どんな環境で働くかが明らかになりました。また、気象データから遺伝子の働きを定量的に予測できるようになりました。
この研究の目的の一つは自然環境下でのイネの生育予測、設計のための基盤技術の開発です。毎年、イネの作況予測が発表されますが、これは特定の品種を対象に、同じ場所で何年も蓄積したデータを元に推定されるものです。しかし、品種が変わるとどう変化するか、今まで経験したことのない気象条件でどう変わるかは予測できません。品種が変わっても、今までなかった気象条件でも作況が予測できるようになると、凶作にならないための対策を講じるといった設計にもつながるのではないかと考えています。
自動分注機
実験室では自動分注装置を導入、複数のサンプルを一度に自動処理することで、実験の効率化を図っている。
シロイヌナズナ
9号館3階に設けられた植物培養室では、世界中から集めた約200系統のシロイヌナズナが育てられている。
遺伝子解析の中でも、私たちが得意にしているのは、特定の一つの遺伝子を測定するのではなく、イネならイネが持っている“すべて”の遺伝子を測定するという方法です。従来の一つ一つの遺伝子を測定する方法と比べて、桁違いに多くの情報が得られますが、一方で大きなコストがかかるという問題がありました。実験室では条件を揃えることができるのでサンプル数が少なくてもいいのですが、野外だと同じ条件で何度もやりなおすことができないうえ、いろいろな要因が入り混じっているので、数百のサンプルがないと統計的な解析に耐えられません。従来の大きなコストのかかる方法では、これだけの数のサンプルを解析することはできません。そこで我々の研究室では、これまで1サンプル10万円程度かかっていたコストを、数千円程度まで抑える技術を開発しました。それを用いて、日常的に数百サンプルの解析を行っています。その結果から、たくさんのサンプルを解析して初めて見えてくることがあるということが分かってきました。このように、他所ではできないようなコストとスピードで解析できる技術は、さまざまな分野の研究にも役立つはずです。実際、大学・企業を問わず多くの研究者のサンプルの解析を引き受けています。
また現在、実験室の中で野外のように変動する環境を再現できるようなインキュベータを、企業と共同で開発しています。細かな環境変動まで再現できる大型のインキュベータから、制御の精度は劣るものの安価な小型のインキュベータまでいくつかのサイズのものを開発しており、それらは簡単にパソコンから制御が可能です。これらのインキュベータを用いて、複雑な環境を再現しながら植物を育てることで、100条件ほどのサンプルを並列して得られるようにしたいと考えています。
これまでは温度や光といった環境の要因を中心に扱ってきましたが、植物がさらされている環境として、病害虫などの他の生物や、土壌の栄養分も重要な要因です。最近はこれらの要因にも研究の対象を広げつつあります。
例えば、ある研究員は、野生植物の中にいるウイルスを調べています。これまでの研究では、植物に感染するウイルスは、病気になっていることが見た目で確認できる作物から見つけられてきました。そのため、野生の植物にどんなウイルスがいるのかほとんどわかっていませんでした。その研究員は、我々の研究室が得意とする遺伝子の解析手法を応用することで、野生植物でも網羅的にウイルスを検出することができる手法を開発しました。ある野生植物を調べたところ、新種のウイルスを発見しただけでなく、複数のウイルスが互いに影響し合いながら共存していることや、農作物には深刻な被害を与えるウイルスが野生植物とは病気を起こさずに共存していることなどが明らかになりました。
また、別の研究員は世界中から集めた200系統くらいのシロイヌナズナという植物を野外で育てて、そこに集まる小さな虫をすべて数えるという研究を、スイスと日本の2か所で行っています。数百、数千株の植物につく、ゴマ粒ほどの虫の種類を見分けて、数を数えていくという気の遠くなるような作業ですが、これを行うことで植物のどの遺伝子が変化すると、どの虫に食べられやすくなるのか、などの関係が分かります。これらの研究から将来的には病虫害に強い植物の設計につながる可能性もあるかもしれません。
我々の研究室では、新たな研究を行うために必要な実験手法やデータ解析手法、装置などを、自分たちで開発することを大切にしています。装置の場合は、既製品の改造はもちろん、時にはものづくりをされている企業と一緒になって開発に取り組むこともあります。また、そのようにして開発した技術を、他の研究者のみなさんに広く使っていただける環境を整備することを重視しています。
私たちが取り組んでいるのは基礎研究ですが、企業の方から私たちの研究をこういうふうに使いたい、こんなことはできるだろうかという話をいただければと思っています。実際にどう使いたいかシチュエーションを提示していただき、ニーズに合わせて考えていくのが一番いい方向です。いろいろな方と話をしながらやっていくことで、応用の可能性が広がっていくことを期待しています。