Need Help?

Ryukoku Extension Center

龍谷エクステンションセンター(REC)

シーズダイジェスト

複合微生物が拓く発酵食品の可能性を追究 農学部 食品栄養学科 田邊 公一 教授

[プロフィール]
国立感染症研究所真菌部第一室室長、龍谷大学農学部食品栄養学科准教授などを経て2020年より現職。
真菌症フォーラム第12回学術集会奨励賞、第60回日本感染症学会東日本地方会奨励賞(基礎)、日本医真菌学会奨励賞などを受賞。
趣味は、海釣り。「美味しい魚を食べる分だけ持ち帰る」のがモットー。60センチ超えのマゴチやマダイなど大物を釣り上げたことも。

日本酒の醸造には、蒸米と水と麹、そして糖からアルコールを生み出す酵母の存在が欠かせません。この酵母を増やすために、大きな樽で酒を仕込む前に、小さな樽で酛(酒母)造りが行われます。現在、多くの酒蔵に普及しているのは「速醸酛」と呼ばれる方法で、最初から蒸米、麹、水、乳酸、培養した酵母をパッケージにして加えることによって、わずか2週間ほどで酵母を安定的に増やすことができます。

一方、昔ながらの伝統的な「生酛」では、酒母造りに用いるのは蒸米と水と麹だけなのに、1ヶ月ほどすれば自然に酵母が増え、最後には濃醇でコシのあるお酒となるのです。なぜこんな不思議なことが起きるのでしょうか。私は、滋賀県内にある蔵元と連携し、今まで経験的に取り組まれていた技術にサイエンスの視点を加えることで、そのメカニズムを解き明かしたいと考えています。

生酛の中での微生物の動きを調べると、酒母を仕込んで5日目をピークに硝酸還元菌が、次いで15日目~20日目に乳酸球菌や乳酸桿菌が追いかけるように増えていきます。硝酸還元菌と乳酸菌は、それぞれ抗菌効果を持つ亜硝酸と乳酸を作り出し、雑菌の増殖を抑える大切な微生物ですが、やがて数を減らしていなくなり、中盤を過ぎたあたりから酵母が増殖をはじめ、あとは一人勝ち状態となります。不思議なことに、これはどの生酛造りにおいてもおおむね同じようなパターンをたどります。

乳酸菌や酵母などの微生物が何もないところから勝手に生まれることはありません。老舗の酒蔵では、酒造りの道具や樽、あるいは蔵の壁や天井などに棲みついていたものが最初から入り込んでいたと考えられますが、ではなぜ生酛内で酵母が他の微生物を抑えて最後に勝ち残るのでしょう。

このような小さな試薬瓶で生酛の縮小版を作っています
試薬瓶500mLの高さは20㎝くらいです

実験室には色々な温度条件を試すために、培養器(ふ卵器ともいう)がたくさん並んでいます

実は、酵母は他の微生物と一緒に共培養すると、自らの性質を変えてしまうことがあるのです。生酛内では酵母以外にも様々な微生物が混在していることから、これと同じような現象が起こっているのではと考えました。酒造りに使われる酵母はグルコース(ブドウ糖)を消費してアルコール発酵を行いますが、グルコース以外を好まない、言い換えると好き嫌いが激しいため、厳しい生存競争の中では長く生きることができません。しかし、他の微生物とのせめぎ合いの中で、アルコールの産生量は減少するものの、一時的に偏食を改善し、他の糖を消費できるようになった個体が現れます。

研究室で生酛のサンプルを調べたところ、この偏食が改善された酵母が存在する割合は100万分の1程度ですが、ちょうど20~21日目の酵母が増え始めるあたりで、通常の100~1000倍程度の高い頻度で検出されることが分かりました。面白いことに、生酛内で酵母が一定量まで増えると、偏食が改善された酵母は再び検出されなくなります。すべての酵母が同じ振る舞いをするわけではありませんが、他の微生物に駆逐されそうになったとき、環境に対応するために状態を変化させ、競争優位になるとすぐに元のグルコース優先状態に戻るという、不思議な現象が観察されます。酵母が長年かけて獲得した生き残りの仕組みを解くカギがそこにあるのかもしれません。

滋賀県名産の鮒ずしは、塩漬けにした二ゴロブナに飯を重ね漬けして自然発酵させたものですが、そこには微生物のはたらきが深く関与しています。あの鮒ずしの独特の味わいはどこから生まれるのでしょうか。

滋賀県内の鮒ずしメーカーの協力で漬床を調べたところ、1週目、2週目はラクトバチルス ブレビス(ラブレ菌)などの乳酸菌が有意に確認できましたが、3週目くらいからラクトバチルス ブフネリという他の食品ではあまり見られない乳酸菌が現れ、1か月後には他の微生物が駆逐されてラクトバチルス ブフネリが大多数の世界になっていることが分かりました。まさに、鮒ずしに特化したチャンピオン菌といえますが、実は原料となる二ゴロブナにも飯にもラクトバチルス ブフネリは見当たらず、どこから由来したものかはっきりとしません。例えば、ラクトバチルス ブフネリが現れるタイミングをずらせば、鮒ずしの出来上がる時期を調節したり、風味を変えることもできるかもしれません。私たちの研究をさらに進め、滋賀県のソウルフードに新しい風を吹き込みたいと思っています。

多様な微生物のせめぎ合いによって、日本酒や鮒ずしの複雑で繊細な味と香りが作り上げられます。複合微生物によって生み出される効果や作用にスポットを当てることで、新たな食品の開発や医薬品等の進展に寄与できればと思います。

酵母 Saccharomyces cerevisiae の顕微鏡写真(X400)

研究者からのメッセージ

“複合微生物”をキーワードに研究成果を他分野へ応用・展開

研究者からのメッセージ

発酵食品の健康効果に注目が集まる中、微生物をうまくコントロールする技術を確立すれば、より低コストで安定的な商品を提供できるようになるでしょう。特に、微生物が複数種共存する状態での振る舞いには未知の部分が多く、食品だけでなく、農業やライフサイエンス分野などにも研究成果を生かす場は大きく広がっています。

例えば、酵母は酒造りなどに役立つ一方で、皮膚炎や感染症を引き起こすような危険な種もいます。環境中でどんな酵母がどんな振る舞いをしているのか、臨床現場で早急に検査できるようなシステムを開発することで、患者さんの健康を守れるかもしれません。複合微生物をキーワードに、幅広い分野と連携していきたいと考えています。